星伍/29歳/福岡県/何気ない日々に思う事をのんびり綴るホークスファンの雑記帳。
by fivestar777jp
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新時代へ
福岡ダイエーホークス。

1988年、大阪より福岡へ。
当時、ホームグラウンドは平和台球場。
鷹の顔が描かれたヘルメットを引っさげ、
南海からダイエーへと、新生ホークスは動きだした。

移転から数年、リーグでは下位に低迷。
平和台球場では、ライトスタンド以外は空席が目立つ。
そんな中、福岡ドーム建設案が持ち上がる。
チームは地道に成長をみせ、
ドラフトでは後にチームの核となる選手達が入団。
ベテラン中心のチーム編成の中、
若手を着実に育てていった。

1993年、福岡ドームへ本拠地を移転。
ユニフォームも一新し、新たなスタートを切る。
記念すべき福岡ドームでの、
ホークス選手本塁打第一号は山本和範選手。
この年のオフ、秋山幸二外野手が電撃トレードで入団。
また、小久保裕紀内野手がドラフト2位で入団。
翌1994年のオフ、王貞治監督の就任。
さらにドラフト1位で城島健司捕手、
FAで工藤公康投手を獲得。
この2年で、大きく球団が変貌を開始。
王ホークスは、ここから始まった。

1996年ドラフト。
この年のドラフトはホークス球団史に残るものに。
1位 井口資仁内野手(青山学院大)
2位 松中信彦内野手(新日鐵君津)
3位 柴原洋外野手(九州共立大)
4位 倉野信次投手(青山学院大)
5位 岡本克道投手(東芝)
現在の中心選手が名前を列ねる、
過去に例を見ない程のドラフト勝利。

そして。
1999年、念願のパシフィックリーグ制覇。
藤井将雄選手が最多ホールド(26)
篠原貴行選手が最高勝率(.933)
工藤公康選手が最優秀防御率(2.38)、最多奪三振(196)

中日ドラゴンズを第5戦4勝1敗で下し、日本シリーズ優勝。

…2000年以降のチームの躍進は、記憶に新しいところ。
今やパシフィックリーグを代表するチームへと、
着実に成長を遂げた福岡ダイエーホークス。
観客動員も300万人を超える発表が年々続く程、
地域やファンに愛される球団へ。

一方、これまでホークスを支えてきた主力選手が、
次々にホークスを去っていった。

工藤公康投手(ジャイアンツへ)
武田一浩投手(ドラゴンズへ)
吉永幸一郎捕手(ジャイアンツへ)
若田部健一投手(ベイスターズへ)
小久保裕紀内野手(ジャイアンツへ)
村松有人外野手(ブルーウェーブへ)
井口資仁内野手(米メジャーリーグへ)

中でも小久保裕紀内野手の無償トレード、
井口資仁内野手の自由契約は球界に大きな影響を与え、
球団内部の体制に暗い影が見える。
そんな中、球団オーナー代行の不祥事。
オーナー企業のダイエーが経営不振で産業再生機構の管理下に。
球団経営は、もはや限界を見せる。
球界再編の流れの中、千葉ロッテマリーンズとの合併の話も。

そして、2004年11月30日。
プロ野球福岡ダイエーホークスは、
ソフトバンクへ譲渡される事が正式発表。
後12月24日、オーナー会議で新生ホークスが誕生する。

福岡ダイエーホークスのファンクラブ会員として16年、
このチームを応援し続けてきました。
お客さんの少ない平和台球場で、
まだ満員ではない福岡ドームで。
今までの人生の半分以上、
常に球団、選手の存在がありました。

今、ドームには連日たくさんのファンが詰め掛け、
大声を枯らして応援してくれています。
中央集中のプロ野球界において、
ファイターズは北海道へ。
新規参入球団のイーグルスは仙台へ。

地方球団の先駆者とも言えるホークス。
これからさらに、球団は大きく生まれかわります。
福岡ダイエーホークス、16年間ありがとう。

そして時代は新しいホークスへ。
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by fivestar777jp | 2004-12-01 10:02 | 鷹雑記
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